少林寺拳法 修行日記

日常生活 即 少林寺拳法

原点

 昭和二十年八月九日午前四時、ソビエート・ロシアは日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、突如飛行機による満州国内の軍事施設に猛爆撃を開始し、夜明とともに機械化されたソ連軍の大部隊は各方面から一斉に国境を突破して、満州領内へ侵入を開始した。当時私が住んでいた東部満州の国境の町綏陽には県公署があり、日本軍の某師団(特に名を秘す)が駐屯していたのであるが、ソ連軍の参戦が知らされた頃には、警察の兵事係に命じ日本人の民間人男子を非常招集させ、これに木銃を持たせて軍事施設や橋などの警備を命じておいて、師団は司令部はじめ各舞台共、朝のうちにソ連軍とは一戦も交えることなく、後方の第二線陣地で抗戦するのだと称して何もかも捨てて退却してしまった。そして街に残されたのは、一般から臨時招集された少数の男子と逃げおくれた地方人の女や子供達ばかりで、正午前には憲兵隊はじめ正規の軍人はその家族と共に一人残らず消えてしまっていたのである。

 

 この日本軍に見捨てられた国境の町に、ソ連軍の先頭部隊が入るのを見届けてからやっと脱出した私は、それからの約一年間をソビエート共産軍の軍政下にあった満州に於て生活し、敵地における敗戦国民の惨めさと悲哀を十二分に体験した。イデオロギーや宗教や道徳よりも、国家や民族の利害の方が優先し、力だけが正義であるかのような、きびしい国際政治の現実を身を以て経験した。そしてその中から知り得た貴重な経験は、法律も軍事も政治の在り方も、イデオロギーや宗教の違いや国の方針だけでなく、その立場に立つ人の人格や考え方如何によって大変な差が出ることを発見したのである。満州で政権を握っていた頃の日本人の場合も同様であったことを改めて思いうかべて、私の人世観は大きく変り今後の生き方に一つの目標を見出したのである。

 

人、人、人、すべては人の質にある。

 

すべてのものが、「人」によって行われるとすれば、真の平和の達成は慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多く作る以外にはないと気づき、万一生きて帰国出来たら、私学校でも開いて志のある青少年を集め、これに道を説いて正義感を引き出し、勇気と自信と行動力を養わせて、祖国復興に役立つ人間を育成しようと決心するに至ったのである。

 

少林寺拳法教範「少林寺建立の目的と金剛禅の成立」より引用。