修行のモチベーション
少林寺拳法には試合が無い。
いや、一応「演武」をメインとした大会はある。
でも我が県の大会を見る限り、勝ち抜くために参加している拳士は大学生や高校生か、一部の全国大会常連の支部のみである。
あとは、少年部の拳士が一生懸命やっているか、おぢさんがビールを美味しく飲むためにやっているだけである。
だから、俺にとっては少林寺拳法には試合が無いのと一緒。自分勝手な意見ですが。
いや、昔は出ていたんですよ。もう十年ほど前か、一応三段の部で全国大会も出ましたしね。演武も好きなんです。ハイ。
しかし、今は全く出ない。理由としては、大会としての演武にもうあまり興味が無いっていうのもあるし、我が道院には相手もいないというのもある。
そんな中でも、なぜか俺は一年中少林寺拳法に対するモチベーションが上がりっぱなしなのである。
なぜか?
それは、目指すべき「先生」の姿がそこにあるからだ。
高校生や大学生のころ
ただ強くなりたかった。弱い自分から逃げたくなかった。
でもそれと同時に
俺に一生懸命に少林寺拳法を教えてくれる人たちのようになりたかった。
それで
褒めて欲しかったんだ。先生に。
そして今も。
幸運なことに、俺は常に師匠に恵まれている。
「修行を三年遅らせても良師につけ」
「求め続ければ必要な時に師はおのずと現れる」
と言う言葉が中国拳法にあるそうだ(確か「拳児」で読んだ)。
高校生まで学んだM先生、大学時代学んだT先生、S先生、Aさん、Yさん×2。
そして今。開祖の直弟子O先生に学ぶことができた。
はっきり言って師匠自慢なら負けないぜ!はっはっは。
「こだるま、上手くなったな!」
「強くなったな!」
「なんだお前、前と変わったな!」
「それだけできれば大したもんや」
先生にかけられるそんなあたたかい一言が
俺の修行のモチベーション。
考えてみれば、日本全国に少林寺拳法を広めるために飛び立った先生方はみんなそうだったんだぜ?
「少林寺拳法五十年史」を読めばわかるよ。
先生方はみんな
開祖に褒めて欲しかったんだ。近づきたかったんだ。
いや、一応「演武」をメインとした大会はある。
でも我が県の大会を見る限り、勝ち抜くために参加している拳士は大学生や高校生か、一部の全国大会常連の支部のみである。
あとは、少年部の拳士が一生懸命やっているか、おぢさんがビールを美味しく飲むためにやっているだけである。
だから、俺にとっては少林寺拳法には試合が無いのと一緒。自分勝手な意見ですが。
いや、昔は出ていたんですよ。もう十年ほど前か、一応三段の部で全国大会も出ましたしね。演武も好きなんです。ハイ。
しかし、今は全く出ない。理由としては、大会としての演武にもうあまり興味が無いっていうのもあるし、我が道院には相手もいないというのもある。
そんな中でも、なぜか俺は一年中少林寺拳法に対するモチベーションが上がりっぱなしなのである。
なぜか?
それは、目指すべき「先生」の姿がそこにあるからだ。
高校生や大学生のころ
ただ強くなりたかった。弱い自分から逃げたくなかった。
でもそれと同時に
俺に一生懸命に少林寺拳法を教えてくれる人たちのようになりたかった。
それで
褒めて欲しかったんだ。先生に。
そして今も。
幸運なことに、俺は常に師匠に恵まれている。
「修行を三年遅らせても良師につけ」
「求め続ければ必要な時に師はおのずと現れる」
と言う言葉が中国拳法にあるそうだ(確か「拳児」で読んだ)。
高校生まで学んだM先生、大学時代学んだT先生、S先生、Aさん、Yさん×2。
そして今。開祖の直弟子O先生に学ぶことができた。
はっきり言って師匠自慢なら負けないぜ!はっはっは。
「こだるま、上手くなったな!」
「強くなったな!」
「なんだお前、前と変わったな!」
「それだけできれば大したもんや」
先生にかけられるそんなあたたかい一言が
俺の修行のモチベーション。
考えてみれば、日本全国に少林寺拳法を広めるために飛び立った先生方はみんなそうだったんだぜ?
「少林寺拳法五十年史」を読めばわかるよ。
先生方はみんな
開祖に褒めて欲しかったんだ。近づきたかったんだ。