それは少林寺拳法ではない!
2ちゃんやミクシを見ていると、否定的な意味で書き込まれているある言葉によく出くわす。
「それは少林寺拳法ではない!」
というものだ。
ローキック、後ろ回し蹴り、アップライトの構えなど、いわゆる「法形」に無い動きをすると、いくら乱捕りをする時に有効な技であっても、指導者から注意を受けると言う事。
ネットでは、この言葉を隠れ蓑に
「技が進化せず、他武道に遅れをとっている」
「指導者が研究を怠っている」
「技が形骸化している」
などと批判されている。
確かにそういう側面もあるだろう。
でも実は
俺はこの言葉を言われた時、
逆に嬉しかったんだ。
大学時代、某県の某道院に所属していた。
先生は、晩年の開祖の側近みたいな人だったから、当然少林寺拳法に対するこだわりは人一倍だった。徹底していた。
転籍して、自分が今まで習ってきた事がほとんど否定されたような気がした。学科だって正直、副読本に書いてある事を読んでいただけだった。全然知らなかった。
「それは少林寺拳法じゃねぇ!」
それが嬉しかった。
「今まで俺が習ってきた事はなんやったんやろう?」
疑問に思った。
でも同時に
「俺は今本物の少林寺拳法を学んでいる!」
誇りに思った。
それまで習ってきた先生には悪いけれど、本当にそう思った。
言葉に問題があるのではない。
先生がその言葉を言えるだけの実力と情熱を持っているのか?
そして
弟子が先生を尊敬しているのか?
そこに問題があると思う。
「それは少林寺拳法ではない!」
いい言葉じゃないか。
俺は使うぜ。
「それは少林寺拳法ではない!」
というものだ。
ローキック、後ろ回し蹴り、アップライトの構えなど、いわゆる「法形」に無い動きをすると、いくら乱捕りをする時に有効な技であっても、指導者から注意を受けると言う事。
ネットでは、この言葉を隠れ蓑に
「技が進化せず、他武道に遅れをとっている」
「指導者が研究を怠っている」
「技が形骸化している」
などと批判されている。
確かにそういう側面もあるだろう。
でも実は
俺はこの言葉を言われた時、
逆に嬉しかったんだ。
大学時代、某県の某道院に所属していた。
先生は、晩年の開祖の側近みたいな人だったから、当然少林寺拳法に対するこだわりは人一倍だった。徹底していた。
転籍して、自分が今まで習ってきた事がほとんど否定されたような気がした。学科だって正直、副読本に書いてある事を読んでいただけだった。全然知らなかった。
「それは少林寺拳法じゃねぇ!」
それが嬉しかった。
「今まで俺が習ってきた事はなんやったんやろう?」
疑問に思った。
でも同時に
「俺は今本物の少林寺拳法を学んでいる!」
誇りに思った。
それまで習ってきた先生には悪いけれど、本当にそう思った。
言葉に問題があるのではない。
先生がその言葉を言えるだけの実力と情熱を持っているのか?
そして
弟子が先生を尊敬しているのか?
そこに問題があると思う。
「それは少林寺拳法ではない!」
いい言葉じゃないか。
俺は使うぜ。