実践
今日の夕方、繁華街を歩いていると、赤信号を堂々と渡っていた若者に、バスの運転手が睨み付けたか、文句を言ったらしく、いざこざとなった。
バスを運転していたサングラスのオジサンも気が強いらしく、わざわざバスの乗降口を開けて口論している。
調子に乗った若者とそのツレ?のおっさんが乗り込んで行って、揉めているわけですな。
(動くか・・・動くとしたらどう動けばいいのか・・・?)
などと、考えている間に
正直、全然冴えないオジサンがパッとバスに乗り込み、仲裁に入った。
そこで、俺も
「警察呼ぶって言ってる人もいますでー」
と言ってバスの乗降口から止めに入った。
「警察」という言葉が効いたのか
おっさんは「すいませんなー」と言って降りていった。続いて若者も降りていった。
一番の功労者は、最初に止めに入った冴えない(失礼!)オジサン。
俺は体が動かなかった。
2番目だが、俺の「警察呼ぶって言ってる人もいますでー」
というセリフも少しは効果があったようだ。
こういう場面に遭遇すると実感するのは
乱捕りに少々自信があっても、いざという時に体はすぐに動かないということ。ましてや演武なぞ、くその役にも立たん。
正直、俺はこんな揉め事には一切関わりたくない。殴りかかられたらどうしようかな?とも思った。
しかし、だからと言って逃げたくもない。
ここで逃げたら、なんのための武道なのか、とも思うから。
どっちにしろ俺は武道を実践できなかった。
武道の経験なんて一切なさそうな冴えない(重ね重ね失礼!)オジサンのほうがよっぽど勇気がある人だった。
先生には昔「損得を考えているようでは、指導者はあかん」
と教えられた。俺は体現できなかった。躊躇した。
開祖法話でもよく出てくると思うが
指導者には、ケンカの強い弱いだけでなく、相手との「交渉力」や置かれている状況を打開する「判断力」と言ったものが必要なのだと。
ある合気道団体の師範が、バスの中でタバコを吸っている輩を注意するとき
「ガムを噛みませんか?」
と言って、タバコを吸うのをやめさせたという逸話を読んだことがある。
いつも練習している技を使えることだけが「護身」ではない、と実感した。
そして、俺の経験値はきょう1つレベルアップした!(笑)
バスを運転していたサングラスのオジサンも気が強いらしく、わざわざバスの乗降口を開けて口論している。
調子に乗った若者とそのツレ?のおっさんが乗り込んで行って、揉めているわけですな。
(動くか・・・動くとしたらどう動けばいいのか・・・?)
などと、考えている間に
正直、全然冴えないオジサンがパッとバスに乗り込み、仲裁に入った。
そこで、俺も
「警察呼ぶって言ってる人もいますでー」
と言ってバスの乗降口から止めに入った。
「警察」という言葉が効いたのか
おっさんは「すいませんなー」と言って降りていった。続いて若者も降りていった。
一番の功労者は、最初に止めに入った冴えない(失礼!)オジサン。
俺は体が動かなかった。
2番目だが、俺の「警察呼ぶって言ってる人もいますでー」
というセリフも少しは効果があったようだ。
こういう場面に遭遇すると実感するのは
乱捕りに少々自信があっても、いざという時に体はすぐに動かないということ。ましてや演武なぞ、くその役にも立たん。
正直、俺はこんな揉め事には一切関わりたくない。殴りかかられたらどうしようかな?とも思った。
しかし、だからと言って逃げたくもない。
ここで逃げたら、なんのための武道なのか、とも思うから。
どっちにしろ俺は武道を実践できなかった。
武道の経験なんて一切なさそうな冴えない(重ね重ね失礼!)オジサンのほうがよっぽど勇気がある人だった。
先生には昔「損得を考えているようでは、指導者はあかん」
と教えられた。俺は体現できなかった。躊躇した。
開祖法話でもよく出てくると思うが
指導者には、ケンカの強い弱いだけでなく、相手との「交渉力」や置かれている状況を打開する「判断力」と言ったものが必要なのだと。
ある合気道団体の師範が、バスの中でタバコを吸っている輩を注意するとき
「ガムを噛みませんか?」
と言って、タバコを吸うのをやめさせたという逸話を読んだことがある。
いつも練習している技を使えることだけが「護身」ではない、と実感した。
そして、俺の経験値はきょう1つレベルアップした!(笑)