少林寺拳法 修行日記

日常生活 即 少林寺拳法

極真鎮魂歌

「極真鎮魂歌」という本を読んだ。

 
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士道館の添野義二館長の回顧録だが、全体的な印象としては、共同著者の小島氏が添野氏の語り口を通じて、自分の主張したいことを書いているといった印象。でも文章とか表現力は上手いと思った。
極真出身で、今は自流派をたてている人物に関しても、相当ディスっているのだが、なぜか芦原氏に関してだけは別格扱いw
 
それはさておき、読んだ理由はただひとつ。少林寺との抗争について書いてあったから。
 
過去に添野氏のインタビューが掲載された雑誌を読んだことがあったが、鈴木義孝?が訪問した際に、「小突いた程度」と答えていたが、「私はさっと車のドアを開け、膝蹴りを連打した」と書いてある。
 
小突いたと、膝蹴り連打では全然違うんだが、まぁ言うことコロコロ変わるよね。
 
俺も少林寺拳法の人間として、ちょっと反論させてもらおうかな。
 
まずは少林寺拳法の技術体系について。
 
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「母体は日本発祥の柔術に空手や日本拳法がの技法が加わったもの」とあるが、これは正しくないな。不遷流という柔術の手ほどきは、祖父から受けたことがあったかもしれないが、開祖自身、空手や日本拳法を学んだなんて話は聞いたことがない。八光流もない。開祖が見学に行ったときには既に少林寺拳法の技法体系は整備されていた。ついでに言うと、入門願書に署名したんじゃなくて、見学申し込みに署名したんだけどな。
 
俺も研究半ばだが、一番影響を受けているのは中国武術の「把式(ぱーしー)」だと思う。開祖自身、秘伝少林寺拳法の中で、「龍系諸技は把式をまとめたもの」と確か書いていた。
 
次に「宗は笹川の忠臣・付き人のような存在だった」
 
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はぁ?笹川良一と開祖が出会ったのは、1972年。笹川氏が本部を訪問している。60年代には会ってないし、笹川氏からの助成金を使ってくれとの申し出を断っている。笹川曰く「わしが金を受け取ってほしいと言って断ったのはあんただけや」と言ったという。
 
ちなみに少林寺が宗教法人格を取得していることについて、「笹川の影響下にあった宗の役得」と書いているが、関係ない。「黄卍教団」の名称で設立したのが昭和24年。「金剛禅総本山少林寺」として宗教法人法の施行と同時に設立したのが昭和26年だ。
ちなみに社団法人格も財団法人格も持っているのが少林寺という組織。
 
この本にも書いてあるが、添野氏が20年くらい前に本部を訪問したという話は聞いたことがある。
俺が聞いた話では、開祖の墓参りがしたいと言ってきたらしいが、対応した宗由貴と新井先生に「最強の組織の作り方を教えてほしい」と質問したらしい。それをきいて宗由貴と新井先生がポカーン( ゚д゚)と口を開けていたという話を聞いて笑った記憶があるw
 
昔は知らんけど、20年前でももはやそんな組織じゃなかったからなw
少林寺はw
ちょっと訪問するとこ間違ってんじゃない?って思った。
 
今回の著書では「少林寺拳法五十年史」に極真との抗争について「笹川、宗、大山の会談によって和解に至った」と書いてあったとあるが、何言ってるんですか?
 
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そんなこと一言も書いてませんが。。。
 
 
いろいろ書いたけど、添野氏の記憶にも残るくらいのインパクトのある組織だったんだな、少林寺は。
良くも悪くも組織力だけは本当にピカイチだったのかもしれない。
今や、本部のホームページを見ても、どこでやっているのかすらわからない。