1979年 全日本少林寺拳法実業団大会 開祖法話
先日の創始30周年記念大会での開祖法話に引き続き、その2年後に開かれた第三回全日本実業団大会での開祖あいさつです。
少林寺拳法五十年史によると、これが大会における開祖の最後のあいさつになったとのことです。この翌年、開祖は遷化されることになりますが、話を始めてからだんだんヒートアップしていってますね。とても翌年遷化されるとは想像できない話ぶりです。
内容を聞くと、「国士」という表現がぴったりですね。
本当に日本のことを思う国士でありながら、半分は他国、他民族のことを考えないといけないよ、と訴えかけています。
1979.11.11 全日本少林寺拳法実業団大会 開祖 宗道臣 法話
以下、五十年史から本大会開催に至るまでの経緯を転記します。
一九七九(昭五四)年十一月十一日、全日本少林寺拳法実業団連盟発足一〇周年を記念して、第三回全日本実業団大会が大阪・枚方市の松下電器枚方体育館で百六十支部五千人の実業団拳士を集めて行われた。大会長は、少林寺拳法関西実業団連盟会長で関西経済連合会、住友金属工業会長の日向方齊氏。
開祖もあいさつで「少林寺拳法三十三年の歴史の中で、大きな大会はみな天候に恵まれてきた。私は天気男らしい・・・」と笑った通り、前日までのどしゃ降りの雨が嘘のような絶好の秋晴れであった。
この大会は、関西実業団連盟(理事長・小笠原国勝・当時)が主管を務め、準備に一年半をかけただけに、素晴らしい盛り上がりを見せた。大会宣言も、少林寺拳法の大会にふさわしいものだったが、パンフレットも峠徹・丸増支部長らが何度も本部へ足を運び、開祖と打ち合わせをしながらこしらえた力作で、その中の少林寺拳法の原点をまとめた「学習のページ」は、そのまま実業団支部のテキストとしても使えるようにしたものだった。
この時のパンフレットがほしい。
創始30周年記念大会 開祖法話
今の世の中では、若干アウトな表現も含まれていますが、ご容赦願いたい。
開祖がなぜ少林寺拳法を創始したのか、その思いはやはり、開祖の表情を見て、声を聴くことで初めて心に響くものがあると思います。ましてやこの当時、この場にいた方々に対する影響力は計り知れないものがあると思います。
そして最後の場面。開祖が涙を拭う姿に心を打たれます。
極真鎮魂歌
「極真鎮魂歌」という本を読んだ。
上達のコツ④ ~インプット、アウトプット(教えて教えられる)~
他武道やスポーツならば「試合」というものを通じて自分の今の力量を確認することができる。少なくとも向上心のある人間ならば、自分に足りない部分に気付かされ、どうやったら弱点を克服することができるのか、考えるようになる。勝者と敗者が明確に分けられる厳しい現実の中で、考えざるを得ないように追い込まれる。
それに比べて少林寺拳法はどうか。自分の実力の無さを実感する瞬間はあるか。あるとするならばそれは、技を教えている時にあると私は思う。私の学生時代の師匠は「少林寺拳法を上達したいならば教えろ」とおっしゃられた。今更ながらこの言葉の意味を実感している。よくあることだが、武専や講習会で技を教えてもらって、別の日時、場所で以前教えてもらった方法を教えようとする。しかし、出来ない。上手く説明できない。理解していると思っていたことができない。あるいは自分が「まあいいや」といい加減にしてきたところが浮き彫りになる。わかった「つもり」でいて、実は全然わかっていなかったという部分が洗い出される。