少林寺拳法 修行日記

日常生活 即 少林寺拳法

趣味なのか、修行なのか

大学時代は、「趣味と修行は違う」と教えられた。

趣味とは、好きな時に好きなだけやるもの。

修行とは、疲れていようと、苦しかろうと、決められた時間に決められたことを必ずやるもの。

二つを明確に分けて考えていた。

「俺の少林寺拳法は趣味じゃねぇ。修行や」

と。

ところがどっこい。今は。

平日はまず無理。

週1の参座+武専+自主練習程度・・・。

果たしてこれで修行と言えるのか。

昔の俺なら、「所詮、その程度の取り組み方」と、バッサリ切り捨てていただろう。

というわけで、最近では敢えて俺の取り組み方は「修行」ではなく「趣味」であると割り切っている。

自分で、自分の取り組み方が甘いと思っているからだ。

ところが、だ。

去年、知り合いの高段者の人と話していた時に

「俺は趣味でやってる」

と断言したら、かなり逆切れされる勢いで怒られた。

「高段者の言う事ではない」

と。まぁ酒も入っていたこともあり、俺も相当言い返したが、理解はされなかったようだ。

俺に言わせれば、その人の取り組み方なぞ

甘い。

ただ単に拳法の練習量だけ見れば、俺の方がまず多いだろう。

練習している姿を見ても、「また体動かさんとしゃべってばっかりやな」といつも思う。

はて・・・?

修行とはなんぞや??

確かに俺にとっては、

日常生活即(=)少林寺拳法

なのだが、はたから見れば、普通に仕事して、飯食って、酒飲んで、寝てるだけである。

少林寺拳法で得た考え方を仕事に活かすこともあるし、その逆もしかり。

でも、少林寺拳法をやってなくても学んでいる人はいっぱいいるのである。

その人たちはいちいち、自分のことを

「私は修行しています!」

などと、大袈裟には言わない。

それに、

勝敗にこだわって練習を重ねるスポーツ選手や、他武道の人たちは俺たちの想像を絶する苦しみと厳しさを味わい、ストイックな生活を送っている。

それこそ、修行僧のような・・・。

大した練習もしてないのに、修行しているなどと、俺は言えない。




少林寺拳法は養行だ。苦行ではない。

俺は養行とは、

「本当は苦しく、厳しい修行を、敢えて笑顔で楽しくやること」

と考えている。

決して楽(らく)ではない。楽しくやるのだ。読み方が違うだけで大違い。




今の俺は修行とは言えないな。空いた時間に、好きなだけやっている、ただの趣味だ。

このブログのタイトル変えなきゃな笑