少林寺拳法では強くなれないのか?
強さを求めて一般の道院や大学の部活動に入った若者たちは、ある段階で疑問を持つことが多々あるようだ。
「少林寺拳法では強くなれないのではないか?」
と。
練習は法形中心、大会は演武のみ、乱捕りは科目表に組み込まれているにもかかわらず、あまり行われている様子がない。さらに黒帯の人たちを見て・・・^^
はて・・・?
「このまま少林寺拳法を続けていて、いつになったら強くなれるんだ?ホントに強くなれんの?」
と。
年代や、性別、今自分の置かれている立場によって、「強さ」の定義って違うと思う。
だけど敢えて言おう。
少林寺拳法の門を叩いたほとんどの若者は
格闘技的な強さを求めてんじゃないの?
俺も昔はそうだったからなぁ。いや今もだけど。
そう言えば昔、月刊少林寺拳法に「私は突き一つでも極めていきたいと考えているのですが、これは教えから反していくような気がします」みたいな投稿をしたら、実名で載ってしまってめっちゃあせったことがあったな笑
でもこのとき、同じ道院のYさんから
「お前が悩むのは本気で少林寺拳法のことを考えているからだ。技にも教えにも。悩むという事は真剣に考えている証拠だよ」
と言われて、救われた気がしたっけ。
話をもとに戻そう。
強く・・・なれるよ。
ただし
己が求めれば。
環境・・・大事だよな。でもなぁ、強くなれないのを他人や組織、環境のせいにするのなんてカッコ悪いぜ!
環境がなけりゃ自分から探して飛び込むんだよ!もしくは自分の手で作り出すんだよ!
己こそ己の寄る辺や。
でも、指導者の責任て重いよな。教えは押しつけても反発されると思う。若い子には。
武専のある派遣講師の先生の師匠は
「三段までは技で引っ張れ」
とおっしゃっていたそうな。
なんで三段なのかはわからないが(笑)、正しいと思う。
教えは修行過程で自ら気づき、考えるのがよろし。
まずは
入門してきた人が何を求めてきたのか?を考え、それを満足させてからだな。教えとか云々は。
しかし、そういう俺も「格闘技的」な練習は、出稽古に行って補い、そして満足させているのであったw
「少林寺拳法では強くなれないのではないか?」
と。
練習は法形中心、大会は演武のみ、乱捕りは科目表に組み込まれているにもかかわらず、あまり行われている様子がない。さらに黒帯の人たちを見て・・・^^
はて・・・?
「このまま少林寺拳法を続けていて、いつになったら強くなれるんだ?ホントに強くなれんの?」
と。
年代や、性別、今自分の置かれている立場によって、「強さ」の定義って違うと思う。
だけど敢えて言おう。
少林寺拳法の門を叩いたほとんどの若者は
格闘技的な強さを求めてんじゃないの?
俺も昔はそうだったからなぁ。いや今もだけど。
そう言えば昔、月刊少林寺拳法に「私は突き一つでも極めていきたいと考えているのですが、これは教えから反していくような気がします」みたいな投稿をしたら、実名で載ってしまってめっちゃあせったことがあったな笑
でもこのとき、同じ道院のYさんから
「お前が悩むのは本気で少林寺拳法のことを考えているからだ。技にも教えにも。悩むという事は真剣に考えている証拠だよ」
と言われて、救われた気がしたっけ。
話をもとに戻そう。
強く・・・なれるよ。
ただし
己が求めれば。
環境・・・大事だよな。でもなぁ、強くなれないのを他人や組織、環境のせいにするのなんてカッコ悪いぜ!
環境がなけりゃ自分から探して飛び込むんだよ!もしくは自分の手で作り出すんだよ!
己こそ己の寄る辺や。
でも、指導者の責任て重いよな。教えは押しつけても反発されると思う。若い子には。
武専のある派遣講師の先生の師匠は
「三段までは技で引っ張れ」
とおっしゃっていたそうな。
なんで三段なのかはわからないが(笑)、正しいと思う。
教えは修行過程で自ら気づき、考えるのがよろし。
まずは
入門してきた人が何を求めてきたのか?を考え、それを満足させてからだな。教えとか云々は。
しかし、そういう俺も「格闘技的」な練習は、出稽古に行って補い、そして満足させているのであったw