少林寺拳法 修行日記

日常生活 即 少林寺拳法

競争は悪か?

夏だ。
 
夏と言えば高校野球だ。
 
ここ数年、毎年例え1回でも甲子園に直接足を運び、高校野球を観戦するのが俺の密かな楽しみとなっている。
 
ちなみに昨日も見てきた。ビールが美味かった。
 
高校野球連盟のHPによると、平成22年度に同連盟に加盟している部活は全国で4,115校らしい。
 
そのうちの1校だけがただの一度も敗北することなく
 
全国制覇を勝ち取ることができる。
 
そのためには血の滲むような努力と練習量の積み重ねが必要である上に、時の運が勝敗を決めることが多々ある。
 
なんと厳しい世界か。
 
しかしだからこそ、これだけ多くの人に感動を与え、親しまれているのだと思う。
 
一方、少林寺拳法はどうか?
 
少林寺拳法は勝敗をはっきりと決めることを反射的に嫌う傾向がある。
 
他人との比較ではなく、自分がどれだけ成長したのか-。
 
それが大事なのだと。
 
だからこそみんな同じように大会に出れるし、楽しむことができる。
 
開祖が戦時中に体験した悲惨な経験を基に
 
提唱された素晴らしい思想だと思う。
 
しかし一方で
 
小学生のころから、演武の大会で1位、2位、3位のことを最優秀、優秀、優良と言い換えていることに疑問を俺は持っていた。
 
単なる言葉遊びじゃないかと。
 
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一時、ゆとり教育というものが行われた。確か小学校の運動会でもかけっこで順位をつけず、みんなで手をつないでゴールするということが行われていたらしい。
 
今でも義理の甥っ子の小学校では、クラス対抗のリレーで足の速い子を選抜してはいけないことになっているのだとか。
 
「選ばれなかった子がショックを受けるから」
 
という理由で。
 
くだらねぇ教育だなぁと思う。
 
人間には得手不得手があって当たり前。リレーで選ばれなかった子は、ほかの種目、あるいは勉強、趣味で1位になれるほど頑張ればいいじゃないか。
 
少なくとも日本は資本主義社会やろ?
 
社会に出たら、嫌がおうにも順位をつけられるか、勝った負けたにこだわらなアカン時もある。
 
そういえば、この前NHKで日韓の若者が討論する番組をしていたけど
 
そりゃ韓国にも負けるわな
 
と思った。
 
海外事情のこと、日本の歴史のこと。
 
あらゆる分野で日本人は勉強不足。
 
もちろん俺も含めて。
 
民主党事業仕分けでレンホウ議員が
 
「なぜ1位じゃないといけないのですか?2位じゃ駄目なんですか?」
 
と問いかけるシーンが何度もテレビで放映された。
 
1位じゃないと駄目とは俺は思わない。
 
でも最初から「2位でいいや」という姿勢では、昨日の自分より成長することもできないと思う。
 
今の世の風潮を見て、開祖ならばどう言うだろうか?
 
勝負することの大切さを力説してるかもしれないぜ?
 
俺が思ってるだけやけど。