少林寺拳法 修行日記

日常生活 即 少林寺拳法

自由であること

ある宗教思想家の仏教に関する本を読んでいたらおもしろい記述があった。

その方によると、仏教(特に大乗仏教)とは「自由であること」を求めているらしい。

世間の価値観や欲望にとらわれるのではなく、自らの価値観で自由自在にものを観よ、と。
欲望の奴隷になるな、と。
だからこそ平安な心になれる、と。

観自在菩薩。


自由とは「自らに由(よ)る」と書く。


はて・・・?


この記述を読んだ時、何処かで聞いたことはあるまいか?と思った。


それは即ち

「己こそ己の寄る辺」ではないか。


自由であるということは、心が囚われていないということだ。



「己こそ己の寄る辺」とは、自由であること。



聖句は釈尊の言葉なのだから、当然と言われればそうかもしれないが


俺の中で何かがつながった気がした。


ちなみに俺は

法形とは

「定められた形にありながら、いかに自由な発想を駆使するか」

が大事だと考えている。