独自性
各地の武専の入学者が少なくなっているという。
なぜだろうか。
それは少林寺拳法自体の魅力が低下しているからにほかならない。
草創期、少林寺拳法には「独自性」があった。
勝負を否定し、それまでの武術・武道を否定し、拳法そのものの価値を否定し、既存の宗教を否定した。
戦後の混乱期において、開祖の示した教えは新鮮であり、そこには理想と情熱があった。
誤解を恐れずに言えば、少林寺拳法は他を否定して大きくなってきた団体である。
しかし現代社会では、身心の健康のために格闘技をすることは当たり前であり、青少年育成を一番の目的として掲げている武道団体も当たり前。護身術としての有効性も、当然ながら併せもっている。仲間作りもできる。
むしろ「プロ」としてやっている指導者も多い分、道場の設備も練習日も指導環境も充実している。
それでも少林寺拳法を習いたいという魅力を打ち出さなければ、拳士が今後も減り続けることは間違いない。
独自性が必要なのだ。
キックボクシングがやりたいのであれば、キックボクシングのジムに行く。
気功がやりたいのであれば、気功の教室に行く。
フルコン空手がやりたいのであれば、フルコンの道場に行く。
拳士数の減少は、身から出た錆だ。