少林寺拳法 修行日記

日常生活 即 少林寺拳法

昔話

学生のころお世話になっていた道院に、Aさんという指導者がいた。
俺は別の道院の所属だったけど、好んでAさんの道院にも通っていた。

ある日、俺が高校生に受身を教えていた時、その高校生は

「痛いからやだ」とか「できないからやらない」

だの抜かすもんで、練習が終わってからAさんに

「あいつ、あんなんでいいんですかね!!」

と憤慨して訴えた。当然Aさんも一緒に頭をひねって対策を考えてくれるものだと思って。

だけど返ってきた答えは違った。

「いい。かまわない。あいつは少林寺拳法が好きなんだ。だから毎回ここに来てるんだ。ここに来て、明日を生きる元気が湧けばそれでいい」

この言葉に、俺は頭をハンマーで殴られたぐらいの衝撃を受けた。Aさんのこの暖かくて大らかで、そして優しい言葉に対して、俺の文句はなんてくだらないものだったのか、と。

この時、初めて少林寺拳法のなんたるかを知った。

俺はバカだから、「駄目だ。法形ばっかり練習していても強くなれねー」と練習に行かず、フルコンの道場に行った時期もあった。

3カ月くらい経ったある日、深夜にアルバイトから大学の寮に帰ってきたとき、俺の机の上に汚い紙切れが置いてあった。

「帰ってこい」

Aさんからだった。この一言が書いてある汚い紙の切れ端を見て、涙がポロポロ出て止まらなかった。

もう10数年年も前の話だけど、その紙切れは今でも大切に持っている。

分厚い教範を読むよりも、武専の難しい話を聞くよりも、こんな人の行動を身近で見たことの方が数百倍大切で、俺に少林寺拳法を教えてくれたんだ、と自信を持って言い切れる。

組織のいろんな事情もあり、残念ながらAさんは今はもう少林寺拳法から身を引いた。
最後まで頑張ろうとしていたようだが。

聖人君子にはなれないけれど、俺はAさんみたいにあったかくて、大らかで、優しい人間になりたいと今でも思っている。

俺が少林寺拳法の道院を開きたいと思う理由の一つだ。