組織・・・
人事異動の時期だ。転勤する人、、転職する人、昇進・昇格する人、降格する人、そして退職する人・・・いろんな人がいる。
悲しいかな
必ずしも成績優秀な人が昇進・昇格するとは限らない。
俺の会社の課長代理だったMという人が、この春から他部署の課長となる。正直、この人は営業が飛びぬけてできる人ではなく、むしろ口ばっかりで、自分に甘く、他人に厳しい。
そして、後輩へも仕事を投げる。だからと言って普段から後輩の指導に力を入れていて、下の人間からの信頼が篤いわけではない。
はっきり言って嫌われている。
同年代、および後輩からは。
だけど昇進した。
上司の言う事には絶対服従、自分の失敗は知らん顔だが、下の人間の失敗には厳しく叱責。
でも上司からすれば印象がいいのだろう。
厳しい先輩だと。
一方、S係長。
数字はずば抜けている。真似ができない営業をこなし、ソツなく仕事をこなす。数字も読めるし、下の人間の気持ちにもなってくれて愚痴も聞いてくれる。
しかし上司に対してはいつもいい加減な態度で接するクセ?があるのか、上司からの信頼は今イチだ。会社への忠誠心なんてまっぴらゴメンと言う感じ。
「仕事はできるが、使いにくい奴」
そう思われている。
S係長がコピー機の前でこの前俺に言ってきた。
S係長「なんで、あいつ(M)が課長やねんな。一番できへん奴が上がるっておかしいよな?あんな奴が課長になって所属がまとまるか?お前がやってるの(少林寺拳法)でも実力がないと下の人間は言う事聞かへんやろ?」
俺は即座に答えた。
「えっ?そんな事ないすよ?(少林寺も)一緒すよ。けっこう口大事っすよ」
係長は思いがけない俺の答えにポカーンとしていた。
実際、少林寺拳法の組織でもそうなのだ。
技ができる道院長のもとに弟子が集まるとは限らない。
古参の先生でも、はっきり言ってその先生の技なんか見たことないけど、門下生がなぜか多いという道院がある。門下生を惹きつける、「技ではない何か」を持っているのだろう。
上に対しても然り。
例えどんなに技ができる先生、門下生が多い先生、そして過去にどんなに功績のある先生でも、現在の組織に対して協力的ではない人は
切られる。
または
自ら離れていく。
どんなに崇高な理念を掲げていても、人間が集まる組織には、必ず利害関係が生まれる。感情のもつれもある。
少林寺拳法でも一緒だと思う。みんながみんな仲良くは居られないのだ。合わない人間も必ずいる。
学生の時は理解できなかったけど、社会人になって「会社」という組織に入り、改めて感じたことは
組織の一員である限りは、やはり組織のルールに従わなければならないということだ。
「なんでこんなことするの?」
とか
「現場のこと全然知らへんな。もっといいやり方あるやろ?」
とか思う事もある。
気に入らない上司の嫌みのような指示にも従わなければならないこともある。
なぜなら俺は、組織人だから。
嫌なら辞めるしかない。
もしくは
組織を変えれる立場に上るしかない。組織に従いながら。
某県にて、また古い先生が別派を作ったそうな・・・。ホームページまで作って周到に用意していたのだろう。
虚しいな。かつては仲間だったはずの人間同士が対立する。
ヤクザでもなんでもない一般の人達が、だ。
虚しいなぁ、おい・・・。
世界で一つの少林寺拳法?少林寺拳法の名称を使っていないだけで、実際には多くの指導者が離れてしまっている。残念ながら。
でも、俺なら
もし少林寺拳法をやめたなら
もう「武」から身を引くな。
意味ないよ。今の世の中に。
国際貢献とかしてるNPO法人とかいいな。やってみたい。
俺の理想のセリフは
「金剛禅運動が忙しくて、少林寺拳法なんかやってる暇ありませんわ」
やからな。はっはっは。
悲しいかな
必ずしも成績優秀な人が昇進・昇格するとは限らない。
俺の会社の課長代理だったMという人が、この春から他部署の課長となる。正直、この人は営業が飛びぬけてできる人ではなく、むしろ口ばっかりで、自分に甘く、他人に厳しい。
そして、後輩へも仕事を投げる。だからと言って普段から後輩の指導に力を入れていて、下の人間からの信頼が篤いわけではない。
はっきり言って嫌われている。
同年代、および後輩からは。
だけど昇進した。
上司の言う事には絶対服従、自分の失敗は知らん顔だが、下の人間の失敗には厳しく叱責。
でも上司からすれば印象がいいのだろう。
厳しい先輩だと。
一方、S係長。
数字はずば抜けている。真似ができない営業をこなし、ソツなく仕事をこなす。数字も読めるし、下の人間の気持ちにもなってくれて愚痴も聞いてくれる。
しかし上司に対してはいつもいい加減な態度で接するクセ?があるのか、上司からの信頼は今イチだ。会社への忠誠心なんてまっぴらゴメンと言う感じ。
「仕事はできるが、使いにくい奴」
そう思われている。
S係長がコピー機の前でこの前俺に言ってきた。
S係長「なんで、あいつ(M)が課長やねんな。一番できへん奴が上がるっておかしいよな?あんな奴が課長になって所属がまとまるか?お前がやってるの(少林寺拳法)でも実力がないと下の人間は言う事聞かへんやろ?」
俺は即座に答えた。
「えっ?そんな事ないすよ?(少林寺も)一緒すよ。けっこう口大事っすよ」
係長は思いがけない俺の答えにポカーンとしていた。
実際、少林寺拳法の組織でもそうなのだ。
技ができる道院長のもとに弟子が集まるとは限らない。
古参の先生でも、はっきり言ってその先生の技なんか見たことないけど、門下生がなぜか多いという道院がある。門下生を惹きつける、「技ではない何か」を持っているのだろう。
上に対しても然り。
例えどんなに技ができる先生、門下生が多い先生、そして過去にどんなに功績のある先生でも、現在の組織に対して協力的ではない人は
切られる。
または
自ら離れていく。
どんなに崇高な理念を掲げていても、人間が集まる組織には、必ず利害関係が生まれる。感情のもつれもある。
少林寺拳法でも一緒だと思う。みんながみんな仲良くは居られないのだ。合わない人間も必ずいる。
学生の時は理解できなかったけど、社会人になって「会社」という組織に入り、改めて感じたことは
組織の一員である限りは、やはり組織のルールに従わなければならないということだ。
「なんでこんなことするの?」
とか
「現場のこと全然知らへんな。もっといいやり方あるやろ?」
とか思う事もある。
気に入らない上司の嫌みのような指示にも従わなければならないこともある。
なぜなら俺は、組織人だから。
嫌なら辞めるしかない。
もしくは
組織を変えれる立場に上るしかない。組織に従いながら。
某県にて、また古い先生が別派を作ったそうな・・・。ホームページまで作って周到に用意していたのだろう。
虚しいな。かつては仲間だったはずの人間同士が対立する。
ヤクザでもなんでもない一般の人達が、だ。
虚しいなぁ、おい・・・。
世界で一つの少林寺拳法?少林寺拳法の名称を使っていないだけで、実際には多くの指導者が離れてしまっている。残念ながら。
でも、俺なら
もし少林寺拳法をやめたなら
もう「武」から身を引くな。
意味ないよ。今の世の中に。
国際貢献とかしてるNPO法人とかいいな。やってみたい。
俺の理想のセリフは
「金剛禅運動が忙しくて、少林寺拳法なんかやってる暇ありませんわ」
やからな。はっはっは。